37歳誕生日。目尻の皺に思うこと。
先日、37歳の誕生日を迎えた。
4歳息子の「おかあさん、お誕生日おめでとう!」で目覚める朝。3つだった去年は、親の誕生日などいまひとつ理解していない様子だった。初めてのお祝いの言葉が愛おしく、ぎゅっと抱きしめキスをする。
さて、37歳。いよいよ40代突入も目前という感じ。未だ何ひとつ成し遂げていないどころか始まってすらいない気がするが、モーツァルトなら全ての交響曲を作曲し終え、とっくに死んでる歳ですよ…。
ただ、年齢を重ねることに抵抗があるかいえば、そういうわけでもない。
笑えば目尻に皺ができるし、白髪もちらほら混じり始めた。若い頃には、将来のそんな姿を想像し絶望したりもしたが、いざこの歳になると、これはこれで悪くないと思う自分がいる。私は、オバハンである自分の姿がわりと好きだ。
考えてみれば、娘時代を謳歌できる期間など、人生の内たかだか10年程度であり、中高年として生きる時間の方が圧倒的に長い。であるならだよ、我々は「美しいオバハン」となることに照準を合わせるべきではないのか。
例えば、美のピークは25歳あたりでその後は「劣化」していくのみ、といった考え方。これでは人生、いかにも哀しい。
そうじゃないのよ。最終目的地は美しいオバハンなのであって、25歳の美しさは経過点に過ぎない。素敵なオバハンに、私はなる!!
…などと考えながら、夫・息子・義母とスペイン料理店へ行き、サングリア片手に美味しいものをたらふく食べて過ごした誕生日でした。
愛する家族が傍にいて、食事が旨い。今日も善き日なり。